新規就農 北海道

北海道での新規就農から就農後の出来事を投稿します!

自分の経歴 ④

皆さん、こんにちは。めちゃくちゃ遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。(笑)

久々の更新になってしまい、申し訳ありません。今勤めている会社は、クリスマスシーズンが一番忙しくて、出張等色々ありまして投稿できてませんでした。(笑)

 

今回はなぜ会社を辞めて、農業経営したいと思ったのかについて書いていこうと思います。

 

まず前提として、約8年間いちご栽培を通して農業経験を積んできましたが、農業という仕事に対してはきつい作業もありますが、苦にならないなと思っていて適性はあるのかなと感じてます。それなら給料が安定してもらえる会社員として農業を続けていけばいいじゃないかと思いますよね。(笑)

 

ではなぜ会社員ではなく独立して自分で農業をやりたいかについてですが、会社員として働いている以上当然毎月給料が出ますが、違う見方をすると最低限の仕事だけしていても給料が出ますよね。そういう働き方は自分の中で違うなと思っていて、農業経営であれば自分でやったことは良いことも悪いことも全て自分に返ってきて全責任を負いますが、そういう働き方の方が自分としてはやりがいを持ってできるのではないかと思ったのが独立したいと思った大きな要因の一つです。

 

また、ありがたいことに毎月給料を頂いてますが、その給料に見合った働きができているのかどうか自分の中でははっきりしないところがあり、申し訳ないなと感じています。なので、そんな自分が農業経営した時にどれくらいできるのかチャレンジしたいなという気持ちも最近は感じています。

 

以上が独立してやりたいと思ったきっかけなんですが、これらは表の理由です。(笑)あまり人には言いたくない裏の理由があります。それは何かというと、自分は昔から海外で生活したいという夢があり、会社員でいるとそれを叶えることはなかなか難しいのですが、自営業である農業なら冬の農閑期に海外に住めるなと(笑)

 

これが自分が農業経営したいなと思った一番最初のきっかけのような気がします。(笑)そのあとに前述した考えをするようになって、ますます農業経営したいと思っていきました。

 

もちろん、こんな農業をしたいなというビジョンは何となく持っていますが、家族を養うためにもまずは既存の方法で安定した収入を確保できるようになってから自分がやりたいことをしていきたいなと思ってます。

 

次回は、どんな農業をやりたいと思っているのかについて書いていこうと思います。

See you next time

いちご うどんこ病

皆さん、こんばんは!北海道では紅葉の時期はもう終わり、赤茶けた景色が広がっており、なんだか物寂しい雰囲気を醸し出している今日この頃です(笑)!

この寂しい感じがどこか好きな自分もいたりします(笑)!

 

今回はいちごのうどんこ病について書いていこうと思います。というのも、自分はいちご栽培をやらせてもっているので、その辺のこともちょくちょく入れていきたいなと思っていて、忘備録的な感じで書きます。

 

さっき調べて感じたんですけど、いちご栽培している農家さんのブログって全然ないんですね。なので、うどんこ病について書いてるブログなんてほとんどないので書こうかなと。書いてるブログはあるんですけど、「うどんこ病にかかりました。こんな感じです。~という薬剤散布して様子見ます。」みたいなのが多くて、結局その散布した薬剤は効いたのか効いてないのかよくわからないというのが多いなと。また、どんな薬剤が効くのかということがあんまり書いてないので、その辺を重点的に書きます。

 

  1. うどんこ病の発病条件

 うどんこ病菌は常に空気中に存在しており、発生条件が揃うと発病するようなメカニズムになっている。胞子の発芽適温が20-25℃となっている。0℃付近では発芽がより促進されるという性質もあり、比較的低温でも発病する。つまり、春先や秋口のような温暖な気温で、かつ夜温が低いような寒暖差が大きい時期では発病しやすい。また、窒素分が過多になると、細胞壁が軟らかくなって弱くなり、発病しやすくなる。

発病条件をまとめると・・・

  • 春や秋のような日中気温が高く(20-25℃)、夜温が低い(0℃付近)ような寒暖差が大きい時期
  • 比較的乾燥条件で発病しやすい
  • 窒素分が多く、徒長して細胞壁が弱くなっているとき

 

  2. うどんこ病に効果が高い農薬

 農薬の効き方は地域によって耐性菌があるかないかで変わってくるが、北海道で効きやすいものを挙げていく。

これらは、特に効きやすい。散布した翌日から効き始め、大体1,2週間は新たな発病はほとんど確認できなかった。

 

以上うどんこ病についてでした。

See you next time

 

 

自分の経歴 ③

皆さん、こんばんは!

北海道は徐々に最低気温が下がってきて、段々とマイナスになる日が出てきましたね!

原油価格の上昇で燃料代が高くなってますが、嫌になりますね(笑)!

ドライブ好きにはたまらないですわ(笑)!

 

さて、前回はパン業界と農業業界に絞った結果、面接での勝率が上がったという話をした。なぜ勝率が上がったのかについて書いていこうと思う。

 

まずこの2つの業界に絞ったのは、自分の好きなこと・やりたいことを基準に仕事を選ぶことは就職した後にミスマッチになる確率が高くなるし、なにより背伸びした自分を常に演じ続けなければならないため無理をしてしまう。そうではなく、自分の性格と仕事の性質が合っているかどうかが面接で勝つ上でも、仕事をし始めてからも大事であることが分かったからである。

 

パン業界、農業業界に共通する点は、周りの人々と協力して何かをすることよりも一人や少人数でコツコツと仕事をする点であり、このような仕事のやり方は自分の性格・性分に合っている。

 

自分に本当に合った仕事を見つける一番の方法は、まず自分の長所を見つけること。長所とは何かというと、やっていて苦にならないことや何も努力なしで他の人よりもできる何かだと思う。私の長所は、物事にコツコツと取組むこと、こうすると決めたらそれに向かって努力できることだと思っている。

 

なので、私の長所と仕事のタイプがマッチしたことが勝率が上がった要因だと分析している。実際今現在、農業系の仕事をしているが全然無理せず自然体で仕事ができているので、仕事との適性はマッチしていると思う。

 

就活では結局3社から内定をもらうことができた。3社のうち、2社は製パンの会社で、残り1つが今勤めている農業系の会社だ。この中からなぜ農業系の会社を選んだのかというと、2つ理由があった。まず1つが、製パン会社2社はそれぞれ勤務地が埼玉県、神奈川県であったのだが、自分の中では就職は地元である北海道に帰りたいという想いがあり、今の会社は北海道に本社があるので北海道に帰ることができるということがひとつあった。もう1つの理由は、パン作りは若い時からやらなくても30とか40歳になってからでも修行して学ぶことができるが、農業は感覚的なところや経験がかなり大きなところを占めていて、そういう部分は若い時からやらないと厳しいのではないかと考えたからである。

 

これら2つの理由から、今の会社に入社することを決めた。今の会社では、栽培を始め主に育種を担当している。

 

次回は、なぜ会社を辞めて農業を経営したいと思ったのかについて書いていこうと思います!

See you next time !

自分の経歴 ②

皆さんこんにちは。

今日はあいにくの天気ですね!
前回長々と書いていた、経歴の続きを今回は書いていこうと思います。
 
大学3年の冬から就職活動をスタートし、大学での就活セミナーだったり、マイナビリクナビのような就活サイトで情報を漁ったりして情報収集していました。自分の志望業界は、就活していくにつれてどんどん変わっていったのですが、最初に目指していた業界は旅行業界です(笑)!大学で専攻していることと全く違ったんです(笑)!農業系でもない。
 
なぜ旅行業界を選んだのかというと、単純に海外旅行が好きで、旅行企画の立案だったり、現地視察で仕事で海外に行けるなんて想いから志望していたんですが、いざ実際に面接を受けていく中で、やりたい気持ちはあるけれども適正がないなと段々気付くようになっていった。旅行業界での仕事は、周りの人と協力して何か一つのものを作り上げていくという空気感があり、実際就職試験の課題としてグループになってある一つのテーマについて皆で話し合い、それを皆の前でプレゼンするようなものがあったりした。
 
自分は元来人見知りなため、そういう仕事のやり方は適正がないなと思っていた。しかも面接に来る猛者たちは皆陽キャが多い傾向があった(笑)。なので、到底そのような人達に勝てるわけもなく、テニスが得意なのにバレー選手になろうとするみたいなことになっていた。でも当時は、グループ面接で周りの人達はがんがん言いたいことを言えているのに、自分は全然言いたいことが言えずかなり落ち込んだ。面接の帰りに人知れず泣いたりしていた(笑)。
 
そんなこんなで、旅行業界での仕事と自分の適性は合っていないことが分かったので、旅行業界からは身を引こうと思うようになっていった。次に目指したのは、小売業界だった。
 
就活が終わった後に色々分析して気付いたことだが、面接で通るか通らないかはその仕事や職種に対して適性があるかどうかが大事で、それがある業界ほど面接で通る確率は高かったように思った。しかし、この時点ではそのことに気付いておらず、自分が好きなことややりたいことを軸に業界を選択していた。
 
そのような考えから、次は小売業界を選んだ。自分のやりたいことは、他の人がやらないようなことをやるということが軸としてあり、旅行業界では他の人が思いつかないような旅行企画を考えて実行したいとか、小売業界では他の人が思いつかないような売り場作りをしたいとか、自分のアイデアで多くの人々に影響を与えるようなことがしたいと思っていた。
 
小売業界での面接では、とにかく自分を陽キャであるように見せた(笑)。旅行業界の面接での経験から、陽キャのような人は面接官の評価が高かったように思えた。なので、そのような対応をしたのだが、それが思った以上にはまり、面接では2次、3次へと行けることが多くなった。
 
ただ、かなりキャラを作って面接を受けていたため、ある企業の3回目くらいの面接で「あなた、前回の面接と違って元気ないね?緊張してるの?前回はもっと元気あるように見えたんだけどね。」と言われた。自分の中ではまったく同じような態度で臨んでいたつもりだったが、他人から見ると違うんだなと。つまり、本当の自分ではない姿をずっと続けるといつかボロが出るし、仮に合格して仕事をし始めたとしてもずっと演じ続けなければならないのはかなりきついなと思うようになっていった。当然、その面接は落ちてしまったが・・・
 
そんな経験から、やりたいこと、好きなことを軸にすることはやめた。そうではなくて、自分の性格とその仕事の適性が大事なんだと気付いた。自分の性格は、一つのことをコツコツとやり続けることや周りと協調して何かをするではなく自分で考えて自分で実行することなど、一人でコツコツやるような仕事と適性があるんじゃないかと自己分析した。
 
その結果、2つの業界を目指し始めた。それは、パン業界と農業業界だ。
この2つの業界は自分との相性がよく、旅行業界や小売業界とは比べ物にならないほど面接での勝率は上がった。なぜ受かるようになったのかについては、また次回書いていこうと思う。
See you next time.

自分の経歴 ①

皆さん、こんにちは。La fragolaです。

 

このブログでは、新規で就農したいと決意し、就農するまでの過程を第一章として、それまでの経緯や何をしているかということを載せていきたいと思っています!

 

まず初めに、私自身のことについて書いていきたいと思います。

私は札幌市出身で、高校までは札幌市で暮らしていた。小学生低学年の頃からテニスを始め、プロテニス選手になってウィンブルドンに出ること(笑)を夢見て青春時代はほとんどをテニスに捧げていた。

 

テニスの実力は両親や周りの皆様の協力のおかげでメキメキ上達し、中学時代は全中北海道大会ダブルス優勝、全日本ジュニア選手権大会出場。高校時代はインターハイ、選抜団体北海道1位、高体連シングルス札幌大会優勝、ダブルス準優勝、インターハイ全道3位と草レベルでは(笑)十分すぎる戦績を残すことが出来た。

 

あまりにもテニス中心の生活を送ってきたため、一種の燃え尽き症候群的な状態になってしまい、高校卒業後はほとんどテニスしない生活になった。でも、今までやってきた習慣というのは抜けきらなくて、体力が落ちたら不安感があったので無駄にランニングしたりしていた(笑)。

 

大学は北海道を離れ、東北の大学に進学した。大学では工学部に入り、エンジニアになるという漠然とした思いがあり、エンジニアになるんだろうなと思っていたが、自分がやりたい研究が出来る研究室は学科の中で一番レベルが高くてかなり狭き門だった。

 

その研究は物理系の知識が主に必要であったのだが、物理が苦手で(笑)。どちらかというと化学の方が好きだったので、有機化学の合成系の研究室に入ることにした。しかし、どうも研究室に籠って実験をひたすらする生活がつまらなくなってきて、将来同じようなことを仕事にしたら毎日楽しくないなと思いながら日々を送っていた。早く卒業して、地元の北海道に帰って就職したいとめちゃくちゃ思っていた(笑)。

 

早く研究室から出たい思いで就職活動メインの学生生活になっていった(笑)。

就職活動では志望業界が二転三転しつつ、悪戦苦闘したこの就活のことについては、また次回書こうと思います!